だいさんのこと
明治より 今までのあゆみ
第三通商のあゆみ
明治から続く吉川家のお茶の仕事を受け継いで。
その歩みは、静岡茶業の近代史と深く重なっています。

静岡茶業を支えた「軸」 吉川覺次郎
吉川家とお茶との関わりは、明治にさかのぼります。大正から昭和初期にかけて、静岡は日本有数の茶貿易の拠点として発展しました。その中心で活躍した一人が、吉川覺次郎です。
吉川覺次郎は「ヤマ吉(吉川合名)」を率い、輸出茶の再製、外商との取引、市場秩序の確立に力を尽くしました。外商と協力しての製品開発や、業界の利害が対立した場面での調整・仲裁など、その存在は一企業の枠を超え、静岡茶業全体を支える「軸」として知られていました。


戦争、そして白紙からの再出発
太平洋戦争によって、静岡の茶業、とりわけ貿易に関わる産業は大きな打撃を受けました。工場や設備は失われ、海外との取引も途絶え、長年築いてきた市場は一度白紙に戻りました。

第三通商のはじまり 吉川省三
困難な状況のなかで、再び静岡から世界へお茶を届ける道を切り開こうと立ち上がったのが、吉川覺次郎の三男・吉川省三でした。
省三は業界関係者や行政と連携しながら、戦後の貿易茶業の再建に奔走しました。その実務の受け皿として設立したのが、第三通商です。静岡の茶業会館の建設にあたっては、検討委員長も務めました。
第三通商は、戦前に築かれた信頼とネットワークを受け継ぎながら、戦後という新しい時代のなかで、輸出と流通を立て直す役割を担って歩みはじめました。同じころ吉川合名も別の体制で再建され、吉川家は「伝統の継承」と「新しい貿易体制への挑戦」という二つの役割を担いながら、静岡茶業の復興を支えていきます。

輸出茶の終焉へ 吉川成夫

第三通商の歩みは、吉川省三から吉川成夫へと受け継がれました。
昭和後期、成夫は省三のあとを継ぎ、長く続いてきた輸出茶の仕事に向き合いました。茶を取り巻く環境が大きく変化していくなかでも、先代から受け継いだ思いと責任を胸に、第三通商にとって最後となる茶の輸出に奮闘しました。
時代の変化とともに、第三通商の緑茶輸出は終わりを迎えます。それは、会社にとって一つの事業が終わるというだけでなく、吉川家が代々携わってきた輸出茶の歴史に、大きな区切りをつける出来事でもありました。
海外へ静岡茶を届けようと力を尽くした省三と成夫。その志と、輸出を通じて培われた経験は、第三通商の歩みのなかに受け継がれています。輸出茶の時代は幕を閉じましたが、お茶を通じて人と人をつなぎ、信頼される品を届けるという思いは、その後の仕事にも息づいています。
受け継いでいるものへ
創業以来受け継いできたのは、「産地・製造・流通・市場をつなぎ、日本の茶を届ける」という使命感です。
時代が変わっても、原点である「信頼されるお茶を、確かなかたちで届ける」という思いは変わりません。静岡お茶のだいさんは、その歴史の上に立ち、毎日の一杯にふさわしいお茶をお届けしています。



会社の沿革
| 昭和8年(1933年)3月16日 | 法人設立 |
|---|---|
| 設立後 | 東京都中央区日本橋から、静岡市の北番町113へ移転 |
| 2023年11月 | 北番町113から、牧ケ谷2404へ移転 |
法人設立から、2026年10月現在で93年です。2026年3月16日に設立93周年を迎え、現在は94年目。100周年は、2033年3月16日です。


